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方丈記私記
筑摩書房
価格:735円(税込)

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三鷹の森ジブリ美術館
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スタジオジブリタイトル
 作家・堀田善衞は、『広場の孤独』『漢奸』ほかの作品で1951年度下半期の芥川賞を受賞、以後世界中の戦乱・争乱の渦中における人間を冷静にみつめ、国家や宗教と人間の自由や自立をテーマとした多くの作品を発表しました。
スタジオジブリが描く乱世 堀田善衞展
イラスト/宮崎駿 ©Nibariki
11月24日まで神奈川近代文学館で開催された堀田善衞展では、「乱世」をキーワードとして、堀田善衞の作品から様々な刺激を受けてきたスタジオジブリがアニメーション映画化を試みるイメージ展示と、堀田善衞の原稿、書簡などによって作品の背景を紹介する文学展示の2部構成により、その力強いメッセージを広い世代にアピールしました。
 本特集では、企画の中心となった宮崎吾朗さんにもお話を伺い、堀田善衞の人と作品に深く迫ります。
「堀田善衞展」特集特別企画 宮崎吾朗さんインタビュー
この展覧会のための映画化企画「定家と長明」を中心に、乱世について、平安時代について、現代に生きる定家と長明、堀田善衞の人間像など、幅広くお話を伺いました。
宮崎吾朗さん 宮崎吾朗(みやざきごろう)
1967年、東京生まれ。信州大学農学部森林工学科卒業後、建設コンサルタントとして公園緑地や都市緑化などの計画、設計に従事。1998年より三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを手がけ、2001年より2005年6月まで同美術館館長を務める。2004年度、芸術選奨文部科学大臣新人賞芸術振興部門を受賞。2006年夏公開された「ゲド戦記」でアニメーション映画の初監督を務める。
堀田作品をアニメーションにする
――現在、神奈川県立近代文学館で開催中の『堀田善衞展 スタジオジブリが描く乱世』で、宮崎さんは、「堀田作品をアニメーション化するとしたら」という試みをされています。ひとつは『方丈記私記』と『定家明月記私抄』をベースに考えられた作品「定家と長明」、そしてもうひとつは『路上の人』。それらのイメージボードが迫力満点に展示されていて、まさにすでにひとつの映画作品を見ているようですが、今回『堀田展』を文学館と共同プロデュースされるにあたって、なぜ、このような形を取られたのか、教えていただけますか。

宮崎: 今回の展示は第一部が堀田さんの足跡を年表や原稿、写真、資料、愛用品などでたどる通常の展覧会の形式を取って、第二部がジブリのコーナーという2部構成になっています。最初僕らは第一部の構成に少し絡むくらいでいいのかなと思っていたのですが、やはり文学館の方たちはその道のプロで、いろいろな本や文献、歴史などに関する知識をたくさんお持ちなんですよね。そこに我々が生半可な知識でもって参加しても仕方ないだろうと。ジブリは映画をつくる会社なので、だとしたら堀田善衞作品を映画にしたらこうなるんじゃないかといったイメージの絵を描いて、本当の映画の企画をやるぐらいのつもりで参加しようということになったんです。

――「定家と長明」の基になっている堀田作品『方丈記私記』と『定家明月記私抄』は小説ではなく評論ですよね。それをアニメーション化するにあたって、宮崎さんは、どういうところにポイントを置かれたのでしょうか。

宮崎: 確かにこれは小説ではないので、面白いですがそのまま映画になるわけではありません。そうすると、堀田さんが想起したであろう定家だとか長明という人物を描くことが、堀田善衞作品を原作にするということなのじゃないかと思ったのです。

――宮崎さんが堀田作品から印象を受けられた定家像、長明像を改めて説明していただくと、どんな感じでしょうか。

宮崎: 藤原定家という人は一応貴族ですけれども、貴族階級のピラミッドの一番下にいる人です。ずっと世渡り下手で、長い間出世もできない。中年時代は貧乏暮らしで、病弱な上に宮勤めで苦労しています。教科書で読むと『新古今和歌集』の選者で華やかな文化人というイメージがありますが、ものすごく生活者の一面があったんですね。一方で若い頃の歌を見ると、ある純真さがあって、非常に気持ちがいい。『明月記』の中には「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」つまり「源氏も平家も俺の知ったことか」という突き放した表現も出てきて、和歌にだけ勤しんでいればいいという芸術至上主義的なところもあった。
  片や長明は、これまた複雑怪奇な人で殆ど生涯失業者ですよね(笑)。下鴨神社の神官の家に生まれながら、お父さんが早くに亡くなったので、結局跡を継げない。今で言うと、親の会社が倒産して、ある日突然後ろ盾が何もなくなっちゃったという感じです。もう1回のし上がってやりたいという気持ちをどこかに持ちつつも、そんなことはどうでもいいんだという気になっていく。また堀田さん言うところの、ものごとを自分の目で見ないと気が済まない野次馬的なところもある。和歌もできて、音楽も、琵琶やら笛やら何でもやる。すごく才能があるのに、ひねくれて何をやっているのかわからない、でも、何か腹の中にはあるのだろうな、という人です。

――今回は、長明25歳、定家18歳と年齢に少し開きはありますが、二人がともに生きた青年期を描いていらっしゃるんですね。

宮崎: 定家も長明も若い間は右往左往しているに違いないんです。堀田さんも富山から上京してすぐに2・26事件に遭遇したり、いろいろなことを体験して右往左往する。それが重なるところだとも思いました。2人が人として出来上がった後をやってもしようがないだろう、僕らが思っているような長明、定家像になる前──平安青春物語をやりたい、そう思ったんですね。やはり人は紆余曲折を経て、積み重ねがあって、ある境地にも達する。その紆余曲折の始りを描きたかったのだと思います。


いつの時代も確固たるものなんてないことを教わった
――今回のテーマは「乱世を描く」です。平安時代というと、私たちはすぐに源氏物語のような雅な世界を想像しますが、実際には天変地異が立て続けに起こって、世の中も荒れて、想像し難いような乱世だったのですね。

宮崎: 単なる天変地異だけではなくて、朝廷が形作ってきたある秩序というものがもう壊れている。雅な貴族の世界がある一方で、築地塀の外は凄惨を極めています。

――堀田さんご自身は、乱世は現代までずっと続いているとおっしゃっていますね。現代を乱世と考えた場合、定家・長明の時代と何か共通点はありますか。

宮崎吾朗さん
宮崎: 普通の人間にとっては、全体像として何が起こっているのかおよそ想像がつかないということでしょうね。情報化社会と言われていても、何か自分たちの目の前にあることはわかるけれども、それをガタガタ言わせている大きな力は何なのかというと、やはりなかなか見えないし、
理解できない。世の中が波乱に満ちてくるときは、一番底辺にいる庶民は何が起こっているかわからずに巻き込まれていく。巻き込んでいく大きな力というものは、いつの世の中でも存在します。堀田さんの著作を読んでいて、常に感じるのはひとつにはそういうことですよね。

――堀田さんがすごいのは、そのうねりに巻き込まれないように立場を維持しているところですね。

宮崎: それはもう堀田さんのような本物のインテリじゃないとできないことかもしれません。太平洋戦争末期、日本が負けると予測していながら上海に渡るわけですよ。そして60歳でスペインに移住する。普通はなかなかできない。でも、それは行った先々でやはり何か別のものがあるかもしれない、それを自分の目で見たいという思いからなわけでしょう。

――現代において堀田善衞的精神を保ち続けるのは難しいのでしょうか。

宮崎: そのためには過去を知る必要があるのだろうと思います。今の僕らを形づくっているのは、それこそ平安時代から続いているもの。そこの教養を身につけておく、興味を持っておくということが、こんな世の中でも頭がおかしくならなくて済む方法なのかなと思います。いつの時代にも確固たるものは本当になくて、何かあったときによりどころにできるものは、自分の中に持つしかないのでしょう。


例えば定家と長明は組織に生きる人間像
――当時の平安京は高温多湿で現在の東南アジアのような気候だったそうですね。展示を拝見して、欝蒼と緑が繁る平安京に驚きました。

宮崎: でっちあげた感じもありますけど(笑)。平安末期から鎌倉初期は気候変動期で、それによって天災、飢饉が頻発したらしいです。平安期は気候も温暖だったようで、そのせいか絵巻などを見ても、庶民は殆どゆるゆるの服しか着ていなかったり、裸同然だったり。貴族も儀式のとき以外はスケスケの服を着ているんです。それに遷都から300年経っていることを考えると、樹齢のある大木があってもおかしくない。それに平安京は水浸しなんです。元々の地形が三角州みたいなところで、都中を水路が縦横に走っていて、あちこちにみんな池をつくるわけですから。マラリアも蔓延していたようです。

――ああいうふうな具体的な絵に起こしていただくと、その時代にも興味が持てますし、やはり当時の人たちにも、私たちに似通う人間像があったのかなと関心が強まりますね。

宮崎: そうなんですね。特に『定家明月記私抄』は、ぜひ男性諸氏に読んでもらいたい。これはサラリーマン哀歌ですよ(笑)。上司である後鳥羽上皇は年齢で言えば20歳も下です。その上皇が大勢を引き連れて野遊びに行ったりするわけです。それに定家はついていかなければいけない。

――迷惑な上司ですね(笑)。

宮崎: 5歳の息子が熱を出して家に帰りたいのに帰らせてもらえない。無理矢理「お前も今晩どうだ」と言われて白拍子──高級遊女ですよね──をあてがわれて、定家はそれが嫌で、衝立を立てて「向こうに行ってください」と言って、まんじりともせずに一夜を過ごすとか(笑)。夜中に呼び出しがきて徹マンならぬ徹夜囲碁をさせられたり。

――身につまされます(笑)。定家がサラリーマンの悲哀を表しているとなると、長明はアウトサイダー?

宮崎: そうですね。家元しか弾いてはいけない琵琶の秘曲を酔っ払った勢いで弾いてお咎めを受けたり、自分の父親の跡を継いだおじさんに対して仲良く擦り寄ればいいのに、嫌味をぶちかます。

――二人とも組織の中で生きていくことの苦しみを味わっているんですね。

宮崎: 組織に入る、入れないというところから始まって、その中でどうやっていくかということで、まさに現代に通じますよね。
  だから、堀田さんの本というのは歴史書ではないんですね。堀田善衞という人が見た人間としての鴨長明だったり、藤原定家だったりする。堀田さんがやられたことというのは、結局人間とは何かということだと思います。歴史的事実ではなく、人間を書いているところがその魅力だと思いますね。

――堀田さんご自身がやはり、ものすごい知識人というだけではなくて、すごく情熱的な恋愛をなさったりとか、非常に人間臭い部分もお持ちですよね。

宮崎: ありますよね。いろいろな意味でエネルギーがあって熱い人だという感じはすごくします。上から単に俯瞰して見ている、それで「俺は知らないよ」と言っているわけではなく、女性とつき合う、酒を飲んで語り合うと、生々しいところではやはり地べたにいる。そこにも長明と定家がいるのだと思いますね。
  客観性と主観性の両方がある。大体あの時代の教養人というのは、現代の教養人とはレベルが違います(笑)。文学、美術、語学、違いすぎて話になりません。特に堀田さんなんて廻船問屋が実家で、小さい頃からいいものを見て育っているから審美眼があるわけで。

――21世紀には、“堀田善衞”は出てきませんか。

宮崎: 出にくいと思います。現代のように「いい学校に行きなさい」ということではない、別のところでの、ある質の高い教育によって育まれたものだと思うので。言えるのは、古典を読まなければだめだということですね。

――「定家と長明」、映画化されることを楽しみに待っています。ありがとうございました。

宮崎: ありがとうございました。

(聞き手・構成 志賀佳織)
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やはり、これは続編も併せて読んでいただきたい作品です。正編のほうだけ読んでいると、平安時代の混乱が終わって、鎌倉時代は落ち着いたのだろうと思わせられますが、続編を読むと混乱はもっとひどくなってきます。定家の家の塀の向こうから死臭が漂う。そこら中群盗が入ってきては、すぐ放火する。定家の日常とともにそうした乱世の様が非常によく伝わってきます。
方丈記私記

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通常、我々が『方丈記』を学校で教わるときは「もののあはれ」や「無常観」がその主題であると言われますが、堀田さんの考え方はそうではありません。やはりものごとをしっかり見てやろう、社会の目撃者たろうという鴨長明の姿勢がそこにはあると言うのです。これも読んでいただきたい1冊です。
若き日の詩人たちの肖像 上

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若い人が読むのだったら、これはある面白さがやはりあると思います。登場する著名な詩人の方々を知らなくても、昭和初期に右往左往している、ある文学青年の話として読むと共感できる。学校に行かないで劇団にもぐりこんじゃってピアノを弾いたりなんかして、この主人公(堀田さん)は一体何をやっているのだろうと。若さとはどの時代も変らないと思えます。


 

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