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ジブリライブラリーに入る11月の新刊は『漫画映画論』。まだアニメーションという言葉がなかった1941(昭和16)年初版の評論なのです。
■今村太平――人物について

今村太平は日本の映画評論草分期の評論家です。家庭の事情で中学を中退し、働きながらも映画館に入り浸り(入場料が安かったのですね)映画評論で身を立てようと考えた若者でした。社会正義に熱く負けん気の強いその性格が、彼の人生に大きく影響したようです。左翼の活動で検挙されて保護観察を受け続けたこと、評論家として成功した後にも執拗な論争が他者攻撃とみなされ敬遠されたこと。決して世渡り上手ではなかった彼ですが、自らの勤勉と発想に自信を持ち、生涯独創的な視点を持ち続けた稀代の評論家です。
■漫画映画論――作品について

この『漫画映画論』を30歳で発表し、この頃次々と発表した評論で今村はメジャーになりました。一方アニメーションの状況はというと、モノクロの短編がニュース映画などと同時上映、アニメーションだけのロードショー公開など考えられません。ディズニーのカラー短編が最先端。政岡憲三の傑作である「くもとちゅうりっぷ」の完成まであと2年。個々の作品は老若男女に好意的に受け入れられていたものの、まだまだアニメーションというジャンルそのものが評価の対象になる時代ではありません。
ではなぜ今村太平はアニメーションに着目したのか?
詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、例えば次のようなことを述べています。まずは技術が発達したことによる表現の広がり。写真を連続させたようななめらかな
動き。紙に書かれた絵と違い、光を通して色が映されることで可能になる描写。音楽
が電気処理によって録音や増幅、加工が可能になったことについては、人々の音楽鑑
賞の形態の変化という現代に通じる社会科学論にまで及びます。そしてその変化は観
客の性格も変えるが、アニメーション向きだと結び付けます。さらに日本の古典芸術を振り返り、アニメーションを作る発想や技術が日本人の素養としてあるとの指摘も。
アニメーションを映画の世界だけで批評するのではなく、社会状況や他の芸術、生活文化と結びつけて語った切り口は、古びれることなく、戦後の増補改訂版、岩波書店からの復刻、今村太平全集への収録などのかたちで残されてきたのでした。
■復刻にあたって新たに収録しました

今回ジブリから復刻するにあたっては、増補改訂版にさらに加えて、高畑勲監督に「今村太平から得たもの」という文章を寄せていただきました。高畑監督は学生時代に今村太平の著作に出会い、それをきっかけに映画音楽について論文を書きましたし、日本の絵巻とアニメーションを比較した今村の論は、『十二世紀のアニメーション』(徳間書店刊)につながる高畑監督の大きく長い関心を呼び覚ますことになりました。今村太平の論はかつてさまざまな論争を呼びましたが、高畑監督はアニメーションの作り手の立場から『漫画映画論』と今村太平に挑んでいます。
また、巻末の「今村太平略年譜」には、本書で今村が取り上げた170本あまりの映画作品も製作年順に掲出し、日本公開年も表示しました。今村太平がいつその作品を見ることができたかどうかを検証しようというわけです。ディズニー作品を高く評価していた今村ですが、1940年代に入ると、海外の作品はほとんど日本で公開されていません。ディズニーの長編「白雪姫」(製作1937年)や「ピノキオ」「ファンタジア」(共に製作1940年)などを、今村は戦後まで待たねばならなかったことなどもわかり、進取の精神に富んだ彼がどれだけ新作を待ちわびたことだろうか、と思わずにはいられませんでした。 |
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