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ゲド戦記 詩画集
ゲド戦記 詩画集
徳間書店
価格:1,260円(税込)

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ジブリインタビュー:前編・宮崎吾朗(みやざきごろう)監督が生まれるまで
宮崎吾朗(みやざきごろう)

1967年、東京生まれ。信州大学農学部森林工学科卒業後、建設コンサルタントとして公園緑地や都市緑化などの計画、設計に従事。
その後'98年より三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを手がけ、'01年より'05年6月まで同美術館の館長を務める。
2004年度芸術選奨文部科学大臣新人賞芸術振興部門を受賞。

いよいよ完成間近の映画「ゲド戦記」。今回の作品で初めて監督を手がけた宮崎吾朗さんにお話をうかがった。インタビューは前後編構成。前編では吾朗さんの少年時代から監督を引き受けるまで、後編では原作の魅力や映画制作中のエピソードをうかがっていく。まずは、どうして「あえて選ばなかった」というアニメーションの道に進むことになったのか。監督になるまで歩んできた道をふりかえってもらった。
 
――高校生のときご自身の将来を考えて、あえてアニメーションの道は選ばなかったそうですね。

宮崎 アニメーションの仕事はやるべきじゃないし、できないと。当時は「ナウシカ」が公開されたり、「ガンダム」の人気が高まっていたり、アニメーションがブームだったんですよ。僕も話題になった作品はほとんど見ていました。だから興味はありましたけど、自分は絵が描けないと思っていたので。もちろん、高畑勲さんや押井守さんのように、作画はしないけどすごい作品をつくる監督もいる。でも、やっぱり自分の父親を――宮崎駿を意識しますよね。だからアニメーションに関わる人間は、絵が描けなければならないと。それに加えて、両親に「アニメーションを仕事にしちゃだめ」と言われて育ってきたわけです。母もアニメーターでしたから、決してアニメーションを卑下しているわけではない。いい作品をつくることに関しては誇りがあるけれども、きつい仕事だということもよくわかっているから、子供には勧めたくないと思ったのでしょう。

――アニメーションのほかには、どんなことに興味がありましたか?

宮崎 山と本ですかね。山岳部と図書委員を掛け持ちしていました。山に登るとき以外は筋トレだけで1時間くらいで部活が終わるので、その後は図書室に入り浸って。司書の先生がとてもいい方だったんですよ。何を読んでいたかほとんど忘れてしまいましたが、新田次郎の山岳小説やSFが好きでした。そのころ出ていたSF関係のものは、大体読んだかな。ハインラインとかアーサー・C・クラークとか、エドガー・ライス・バローズの「金星シリーズ」とか。

インタビュー風景――大学は長野ですね。そこでも山岳部に?

宮崎 大学では山岳部はやめて、「児童文化研究会」というサークルに入りました。山岳部は60キロの荷物を持って登るって言われて「嫌だな」と(笑)。迷っていたときに、怪しい人形劇をやっている人たちを見て。その劇に惹かれたんです。ちょっとブラックなギャグも入っていて、おもしろかったんですよ。特に子供好きというわけでもなかったのですが、サークル活動は楽しかったですね。子供に何か見せると、反応がすごくダイレクトにかえってくるでしょう? 彼らに集中力を持って見てもらうには、大人に見せるよりエネルギーが要る。“人をひきつけるおもしろさ”みたいなことも、そこで実感しました。

――就職してからは、公共造園の仕事をなさっていたとか。辞めようと思われたのはなぜですか?

宮崎 会社に入った頃は景気も良くて仕事もたくさんあったし、「何かをつくるのは良いことだ」と思っていました。でも、だんだん疑問を感じるようになって。僕が会社を辞める直前に担当していたのは、ある工業団地を緑化する仕事でした。公共事業は計画から完成までが長いでしょう? その工業団地も10年前に計画ができたのですが、完成したときにはバブルがはじけてしまって。僕らが担当した緑化というのは、工業団地が完成したあとの、最後のお化粧みたいな仕事です。でもいくらお化粧をしたところで、企業は誘致できない。結局、長い年月を費やして、田んぼをいっぱいつぶしたり、海岸や砂丘を削ったりしたあげくに、誰も使わない工業団地ができてしまった。「何をやっているのだろう?」とむなしくなりましたね。誰も喜ばないなら、つくらないほうがマシじゃないかと。そんなジレンマを抱えているときに、鈴木敏夫プロデューサーに釣られたわけです(笑)。

――それで会社を辞めて、三鷹の森ジブリ美術館の立ち上げに関わったわけですね。美術館と公園は、ちょっと通じる部分がありそうです。

宮崎 ありますね。美術館の仕事をすることに決めたのは、候補地が井の頭公園だったのも大きかったです。相手の顔がちゃんと見える形で、公園の延長にあるようなものがつくれそうだと思ったんですね。ただ、予想外のこともあって。鈴木プロデューサーに誘われたときは「ジブリには建築関係についてわかる人がいないから、そういうことを中心になってやってくれる人がほしい」と言われたんですよ。それで、建築は僕の本来の守備範囲ではないけれども、大概のことはわかるだろうということで来てみたら、「そのために会社をつくるから、社長やってね」と。「えーっ、そんな話聞いてない!」って(笑)。
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