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| 鈴木敏夫さん |
| 1948年愛知県生まれ。慶應義塾大学卒。72年徳間書店に入社。「アサヒ芸能」記者、「アニメージュ」編集長を経て、85年にスタジオジブリ事業本部長となる。宮崎駿監督、高畑勲監督らを擁するジブリのプロデューサーとして「となりのトトロ」(88年)「おもひでぽろぽろ」(91年)「千と千尋の神隠し」(01年・アカデミー賞長編アニメーション部門賞)「ハウルの動く城」(04年・ベネチア国際映画祭栄誉金獅子賞)など、数々の映画を世に送り出している。2005年4月、(株)スタジオジブリ代表取締役に。 |
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スタジオジブリ・プロデューサー、鈴木敏夫さんが映画を観る楽しみ、作る面白さを書いた待望の著書「映画道楽」(ぴあ刊)が発売された。これを記念して、当社セブンアンドワイの代表取締役社長・鈴木康弘との特別対談を開催。一人はアニメーション業界に新風をもたらし、常勝ヒットを重ねるプロデューサー。方や書籍を電子商取引するという、既成概念を打ち破った事業を成功させた企業人。数年前から、個人的にも親しいという二人の鈴木対談をたっぷりとお届けしよう。 |
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鈴木敏夫(以下、敏夫) 僕はこれまで、生涯自分の本は作るまいと思ってきたんです。でも「映画道楽」の編集を担当した浅岡揺君の突っ走るような情熱。それに押し切られる感じで本が生まれたんです。でもこの本を作ってみて、勉強になりました。
鈴木康弘(以下、康弘) どういうところが、勉強になったんですか?
敏夫 それは、浅岡君のような人が歴史を作るんだなということです。それをご理解いただくために、僕の大先輩である徳間書店の「アニメージュ」初代編集長・尾形英夫の話をしましょう。「アニメージュ」の創刊は、1978年の5月28日なんです。当時尾形は僕の横で半年ぐらい創刊準備をしていたんですが、ゴールデン・ウィーク直前、いきなり僕を呼び出したんです。そして「敏夫君、悪いな。『アニメージュ』を作ってくれないか」と言うんですよ。それまでいたスタッフは、自分の意向を反映してくれないから全部辞めさせたと。もう創刊までひと月を切っていますから、これには相当ビックリしました。それで3時間ぐらい話をして、尾形に押し切られる形で編集を引き受けることにしたんです。彼が面白いのは「実作業は敏夫君だけれど、編集長は俺だぞ」という人なんですよ(笑)。でも編集ビジョンを聞いたら、「それは、まだ固まっていない」と言うわけです。だから「じゃあ、何でアニメーションの雑誌なんて作ろうと思ったんですか?」と聞いたら、「うちの息子が、アニメが好きだから」と。僕はここで非常に大きなことを学ぶんです。仕事とは、公私混同でやるべきだと。
康弘 それは今回の本にも書かれていますね。
敏夫 そうなんです。そして尾形が言ったことは、二つ。「うちの息子が読むんだから、高級な本にしたい。それと頭のいい子が読む本にしたいね」と。方向性は、これだけでした。当時、僕はアニメーションの専門知識はありませんでしたからアニメファンの高校生に意見を聞いて、映画雑誌がスターにスポットを当てるように、これはアニメのキャラクターに眼を向けた雑誌にすればいいんだとか、その頃の月刊雑誌は500円以下だけれども、これは高級な雑誌だから580円に定価を設定しようといった具体案を決めていったんです。その間、尾形は何をやったか。アイデアは出すんですがほとんどが没で、カラオケが好きですから午後7時になるといなくなる(笑)。
康弘 息子のために雑誌を作りたいという、情熱だけなんですね(笑)。
敏夫 そうなんです。でも尾形の名誉のために言っておきますけれど、そうやって泥縄の編集作業をして作った「アニメージュ」が大成功を収める。やがて宮崎駿の漫画「風の谷のナウシカ」の連載が始まるんですが、これを映画にしようと最初に言ったのは尾形なんです。でも彼はケチでしたね。「『ナウシカ』は面白いから映画にしよう。でも長さは10分でね」と言うわけです。10分の映画なんて作れないですよね。でもそれが、ああいう形で映画になってヒットする。すると、それまで徳間書店というのは「週刊アサヒ芸能」の会社だったんです。ところが新入社員の応募が2000人ぐらいになって、その大半が「アニメージュ」の編集部を希望したんですよ。さらに徳間康快社長も映画『風の谷のナウシカ』が成功したことで、クロスメディア事業を本格化させていく。つまり、尾形は会社のイメージを変えてしまったんです。しかし、本人にはその自覚がない(笑)。でも歴史を変えるのは、そういう人なんです。何でも先のことを見通せる人ではなく、公私混同で情熱だけで突っ走ってしまう人。今回の本を編集した浅岡君にも、同じようなものを感じました。
康弘 では、彼もぴあの歴史を変えるのかもしれない(笑)。でも僕は今の敏夫さんのお話を伺って、「映画道楽」を読んで感じたことですが、尾形さんと敏夫さんは一緒じゃないかと思いますよ。どちらも個人の何かをやりたいという情熱が根っこにあって、それが行動の原動力になっている。
敏夫 でも僕は尾形のように歴史は作れない。先が見通せますから(笑)。それは冗談ですけれども、確かに尾形の影響は大きいんです。彼からバトンを受け取った部分はありますよ。 |
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